原始仏典 (ちくま学芸文庫)
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仏教経典を片端から読破するのはあまりに大変だが、重要な教えだけでも知りたい―本書は、そうした切実な希望にこたえるものである。なかでも、釈尊の教えをもっとも忠実に伝えるとされる、「スッタニパータ」「サンユッタニカーャ」「大パリニッバーナ経」など、原始仏教の経典の数々。それらを、多くの原典訳でも知られる仏教思想学の大家が、これ以上なく平明な注釈で解く。テレビ・ラジオ連続講義を中心に歴史的・体系的にまとめたシリーズから、『原始仏典1釈尊の生涯』『原始仏典2人生の指針』をあわせた一冊。
avashe.icon中々よかった。100分de名著よりはがっつりで、かつ偏りも少なめ
序盤が仏陀の足跡を辿る経で、中盤が具体的実践、後半にかけて教義と観念的議論という感じで、多少冗長でも初心者を振り落とさないようにする配慮が感じられた
ただし中村氏の解釈はほんのり大乗仏教味がある、そこは恐らく国内の諸派への配慮かなと
当時の仏典内から読み取れるインドの人びとの感覚的な傾向も読み取っているのが良かった
苦しい話として始まっても最終的に大団円として終わるとか (真理は安楽なもの)
真理を突いた言葉には不思議な力が宿っているとか
だから正しいことをいう人は追い詰められても急に傷が治る!という物語があったり
念仏もここからきているのかな?
「無我説」というのは「実体としての我がない」という意味で、自己を否定したのではありません。自己というものはことばでとらえることができず、五つの構成要素の外にあるものです。ただわれわれが人間の理法、理にしたがって実践するその中に、本当の自己が現れるということをこれまでみてきたように、原始仏典では説いていますし、(中略)だから仏教は単なる虚無論ではなく、実体としての「我」が無い(これはいつかは消えてなくなるものですから)、その奥にある真実の自己というものは、人間の理、法を実現するものとして不滅の意義を有するというのが仏教の教えです。
pp403-404 第七章 ギリシア思想との対決 からの引用、強調は原文のまま
自己という言葉遣いがちょっとヒヤヒヤする (ツッコミがありそうで)
仏教の虚無的に捉えられる部分と、「自己に頼れ」「法を洲とせよ」を代表とした仏陀の発言の位置づけとして 我執を捨て去り世界をありのまま見る人間が、慈悲であったり八正道の正業などの倫理的な行為を実践し続ける理由がないと感じており、私はこの疑問への答えを知りたがっている 代わりにインストールすべきなのが法であり、法という観念は悟りの見地からブッダが世界に対して考察・分析したものである。これは無時間的な真理なので、その実践もまた不滅なものとして現象する、という解釈のようだ。
悟った人間は何しても本人の中では正しいのだという仏教理解は間違っている。我執をなくした後は法の実践者として自己を確立しなおすのが仏教であり、この中には不殺生などが含まれている。
もともと仏教が登場した時代に世界についての形而上的議論がいろいろあった
霊魂や世界はあるか、ないかといった議論
阿含経典内でも訪ねてきて実在論的問いを投げる人が結構いるのだが、ブッダはそれについて常に答えない
(世界の諸実在については)あるとも言えないし、ないとも言えない、私は中道を説く、というのが決まり文句
ブッダが重要視したのは幸せに生きる方法であり、幸せに生きる方法について議論すべきなのであって、世界についての議論は重要ではない(あるとも言えないし、ないとも言えない)という態度を示し続けた
この立場が中道である
avashe.icon輪廻転生について気になって調べたのだが、現代の僧侶も中道の立場から発言していて面白かった
ブッダの時代はバラモン教などの浸透により輪廻転生と六道が信じられていた
しかし現代人、例えば私は輪廻転生を信じていない
つか輪廻する観念的な主体=業が存在するとするなら、仏教の根本の1つである諸法無我が壊れてしまい、むしろ業こそ真の我になってしまうのでは?と思っている
現代の日本の僧侶はどう考えているのか調べると、お前がそれで救われるならあるし、その逆も然りという立場の僧侶がそれなりにおり、これが中道か~となった
もちろん原理主義的に仏典に輪廻が登場するのだから輪廻はある!という立場の人もいる
avashe.icon個人的にはこの原典に対するゆるさが興味深い。(一神教ではもっと原理主義者の割合が多いだろう)それは恐らく中道の性質から来ているのではないか?
あなたが生きていることで発散するあらゆる熱的エントロピーと情報的エントロピーを業とするのである。あなたが行ったあらゆる行いは次の何らかの生命が生まれる原因の1つになる。これが輪廻転生である...というもの。